散歩をしていると、道ばたや境内で「これ、何て言うんだろう」と足が止まるものがあります。三猿の彫られた石の柱、神社の屋根の緑色、車止めのある細くて曲がった道。昼さんぽコースを歩いて、記事の中で何度も書いてきたものの名前を集めました。恥ずかしながら専門家ではないので、載せているのは名前と、見分け方と、なおごんずがどこで見たかまで。詳しい解説は各記事のリンク先と、詳しい方にお任せします。次の散歩で「あ、あれだ」と指させたら、是非声に出して言ってみてください。

半分は、神社とお寺です。

御朱印のブログですから。
用語一覧
神社で見るもの
鳥居 まず形、次に材質、それから変わり種
神社の入口に立つ門。見分け方の一歩目は上の横木(笠木)で、両端が反り上がっていれば明神鳥居、まっすぐなら神明鳥居。東京の神社の大半は明神鳥居で、明治神宮の二の鳥居は木造の明神鳥居として日本一の大きさ。神明鳥居は伊勢神宮の系統で、深川神明宮のように伊勢から分霊した社に立つ。


形が分かったら、次は材質と年代。石・木・銅・コンクリートがあって、コンクリートは近年の建て替え。石造りは古いものが多く、居木神社(大崎)の北参道の鳥居は年代物の本物の石。湯島天神の鳥居は1667(寛文7)年寄進の都内最古の鋳造鳥居で、虎ノ門の金刀比羅宮の銅鳥居には龍と亀の彫刻。足元の柱に「慶応年間」などの年号が刻んであることも多く、そこを見るのが癖になる。

そして変わり種。日枝神社の山王鳥居は明神鳥居の上に三角の破風が乗った形で、目黒不動の石段の上にも同じ形の鳥居がある(お寺だけれど天台宗の守り神が日吉大社なので、これで正しい)。柱に龍が巻きついているのが双龍鳥居で、都内には品川神社・馬橋稲荷神社・高円寺の3基しかなく「東京三鳥居」。牛嶋神社の三輪鳥居は大きな鳥居の両脇に小さな鳥居を従えた形、三囲神社の三柱鳥居は柱が三本で「三井を守る」神社らしい形。松陰神社の大鳥居は宗忠鳥居という形式。そして稲荷社の千本鳥居は、渋谷の豊栄稲荷にも小ぶりなものがある。






双龍鳥居は、触りながらお願いすると龍が天に届けてくれるそうです。3基とも見てきました。

鳥居をくぐる前に上を見て、次に足元を見る。形と年号。それで一の鳥居に3分かかります。
見た場所:明治神宮、深川神明宮、居木神社・品川神社、湯島天神、金刀比羅宮・日枝神社、目黒不動、阿佐ヶ谷、高円寺、牛嶋神社・三囲神社、松陰神社、豊栄稲荷
狛犬 口と、台座と、顔を見る
参道の両脇で社殿を守る一対の獅子。向かって右が口を開けた「阿」、左が口を閉じた「吽」。古い型では右が獅子で左が角のある狛犬、あわせて狛犬と呼ぶ、と言われるが諸説あり。見るところは3つ。まず口(阿吽)、次に台座に彫られた奉納の年、最後に顔。江戸時代のものが普通に残っているのが東京のすごいところで、品川神社に1792(寛政4)年、成子天神社に1775年、久我山の第六天神社に1771年(杉並区の指定文化財)、新宿の熊野神社には1727年。



顔は一体ずつ違う。江戸で作られた古い狛犬は彫りが素朴で、丸っこかったり耳が垂れていたり、笑っているように見えるものもある。昭和以降に全国へ広まった型はきりっとした顔で、たてがみが巻き毛、というのが大まかな傾向(こちらも諸説あり)。子どもを抱いた狛犬、玉を押さえた狛犬もいて、中野沼袋の氷川神社には母の顔をした狛犬、成子天神社には子犬が珠を口に入れた親子の像。浅草神社の「夫婦狛犬」は江戸初期の作で、本来向かい合う一対が寄り添っていて珍しい。


狛犬でないものが座っていることもある。神楽坂の善國寺(毘沙門天)は一対の狛虎、隈研吾が拝殿を設計した赤城神社の狛犬はどう見てもスフィンクス、三囲神社には狛犬とお狐様と並んで旧三越池袋店から引き取ったライオン像。稲荷の狐は次の項で。




阿吽の口を確認してから写真を撮る。それだけで通っぽく見えます。

顔を見比べ始めると1社で10分消えます。ご注意を。
見た場所:品川、新宿熊野神社・成子天神社、久我山、中野沼袋、浅草神社、善國寺、赤城神社、三囲神社
狛狐・撫で牛 神様の使い
稲荷神社の参道にいるのは狛犬ではなく狐。神様の使い(神使)で、稲荷は狐、天神は牛、八幡は鳩、日吉・山王は猿。天神の牛は「撫で牛」で、自分の身体の悪いところを撫でたあと牛の同じ場所を撫でると、悪いところが牛に移るという風習。赤坂の日枝神社は楼門に猿の像。

手水舎
参拝の前に手と口を清める場所で、「ちょうずや」「てみずや」どちらでも通じる。屋根付きの水盤に龍の口から水が出ている形が定番で、上野東照宮の水盤舎は重要文化財。最近は水盤に花を浮かべた「花手水」が増えていて、下谷神社は月替わり。少しでも明るい気分になれるのはいいものです。

御神木
境内で一段と大きい木。しめ縄が巻いてあれば大体それ。イチョウ・クス・ケヤキが多い。赤坂氷川神社では御神木のイチョウの隣に、それより大きい神社のシンボルのイチョウが立っていて、初見だと逆に見える。明治神宮の夫婦楠は創建時からの2本で、縁結び・家内安全。

摂社・末社
本殿とは別に境内に建つ小さなお社。本社の神様と縁の深いものを摂社、それ以外を末社と呼び分けるが、線引きは神社ごと。稲荷社が多い。渋谷の金王八幡宮の摂社・豊栄稲荷は道路を挟んだ向かいにあって、別の神社に見える。穴守稲荷の境内は、摂社のお稲荷様が航空・必勝・開運・出世とずらり。

絵馬
願い事を書いて奉納する板。馬の絵が描かれていたのは、生きた馬を奉納していた名残と言われる。今は神社ごとの図柄で、湯島天神は受験生の絵馬で掛け所が分厚くなり、新井薬師は目の御利益で「め」の字が向かい合った「めめ絵馬」、高円寺の気象神社は下駄の形。


湯島天神の絵馬は、厚みで受験生の本気度が測れます。
神楽殿
神楽やお囃子を奉納する舞台。正面が開いていて、普段は何もない板の間。祭りの日にだけ出番が来る。水元の葛西神社の神楽殿は大正12年建立で、葛西囃子の稽古の舞台にもなる。

見た場所:水元公園
稲荷・八幡・天神・氷川 社名で分かる神様
社名は祭神の名札。稲荷は宇迦之御魂神で商売繁盛、都内でいちばん数が多い。730年創建の下谷神社は都内最古の稲荷。八幡は応神天皇で武運、源氏の氏神。小山八幡神社は標高35mの小山の上にあって、武蔵小山の地名の元。天神は菅原道真で学問、梅と牛が目印。氷川は素盞嗚尊で、東京と埼玉に集中している。


この4つを覚えるだけで、歩いた神社のかなりの数が名前で分かります。
東京十社
明治元年に准勅祭社と定められた社のうち、都内の10社。日枝・根津・芝大神宮・神田・亀戸天神・白山・王子・赤坂氷川・品川・富岡八幡。御朱印に「東京十社」の印が入るところもあって、10社めぐりをする人も多く、なおごんずも気づけばあちこちで判を頂いていた。

見た場所:神田、赤坂氷川・日枝、白山、王子、品川、富岡八幡、亀戸天神
七福神めぐり
恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋を祀る7つの社寺を1日で巡る。東京には数十コースあって、正月だけ御朱印を出すところと通年のところがある。元祖山手七福神は、御本尊が蟠龍寺以外は普段非公開。下町八福神のように8つのところも。

見た場所:柴又、下町八福神、元祖山手、浅草名所、新宿山ノ手、荏原
お寺で見るもの
山門・仁王門
寺の正門で、左右に仁王像(金剛力士)が立っていれば仁王門。護国寺の仁王門は堂々とした構え、目黒不動は山門の奥に石段が続いていて、どんな世界が待っているのだろうとくぐる前から楽しい。門をくぐるときは敷居を踏まない、くらいは覚えておくと格好がつく。

鐘楼
梵鐘を吊るす建物。「しょうろう」。祐天寺は本堂・地蔵堂・鐘楼が国の登録有形文化財、円融寺の梵鐘は緑青を帯びて鋲が整然と並ぶ。立石の南蔵院には1746年の銘が入った梵鐘。

お地蔵さま・六地蔵
道ばたや寺の門前に立つ石の菩薩で、6体並んでいれば六地蔵、地獄から天まで六つの世界それぞれを救うという意味。増上寺には風車を持った千躰子育地蔵が約1,300体並んでいて、色とりどりの風車が可愛らしい。ちなみに巣鴨のとげぬき地蔵(高岩寺)は本尊が秘仏で、境内で水をかけて洗うのは観音様のほう。


とげぬき地蔵で洗うのは、お地蔵さまではなく観音様。
不動・観音・薬師・大師 何のお堂か
寺の名前やお堂の名前も、祀られている仏の名札。不動は不動明王で、炎を背負い剣と縄を持つ。御朱印にも炎(迦楼羅炎)が入る。観音は慈悲の菩薩で、浅草寺は628年に隅田川の漁師の網にかかった観音像から始まった。薬師は病気平癒で、新井薬師は目。大師は弘法大師(空海)で、西新井大師は826年に空海が十一面観音を彫って建てたと伝わる。

見た場所:等々力不動、目黒不動、浅草寺、新井薬師、西新井大師
道ばたの石
庚申塔
江戸時代、60日に一度の庚申の夜に村の人が集まって夜明かしした「庚申講」の記念に建てた石塔で、青面金剛と三猿(見ざる言わざる聞かざる)が彫ってあれば、まず庚申塔。商店街の名前になっているところもあって、高円寺庚申通りの庚申塔は300年以上前のもの、目黒の五本木庚申塔群には1686年から1810年の年号が刻まれ、巣鴨の猿田彦庚申堂は庚申塔をお堂に納めている。一度覚えると、道ばたで妙に目に付くようになる。


三猿がいたら庚申塔、と覚えています。違ったら詳しい方教えてください。
富士塚
富士山に登れない人のために富士講が築いた小さな富士山で、溶岩を積んで登山道を作り、頂上に浅間神社を置いて、登れば富士登山と同じ御利益とされた。護国寺の音羽富士はお手軽に頂上へ行けるが、十条富士塚は1840年には使われていた記録が残る本格派、成子天神社の成子富士は高さ約12mで隣のマンションの4階相当と、けっこう高い。


山開きの日にしか登れない富士塚もあります。行く前に確認を。
道標
「右 ◯◯道」と行き先を刻んだ石。街道の分かれ道に立てられた。今の交差点にそのまま残っていることも、寺社の境内に移されていることもある。巣鴨の猿田彦庚申堂に残る絵図には「右わうし(王子)道」の道標が描かれていて、今の交差点と同じ位置。

見た場所:巣鴨
力石
若い衆が力比べに持ち上げた丸い石。持ち上げた人の名前や重さが彫ってある。祭りの余興で、神社の境内に奉納されて残った。成子天神社の力石は新宿区指定有形民俗文化財。


持ち上げるのは遠慮しました。
見た場所:成子天神社
古墳
多摩川沿いの台地には、世田谷区から大田区にかけて古代の豪族の古墳が並んでいて、荏原台古墳群・田園調布古墳群と呼ばれる。住宅街の中に突然、丸い森。フェンス越しに丸みが分かる程度のものが多い。


古墳への入口、私は通り過ぎました。ごめんなさい。
貝塚
大昔のゴミ捨て場。貝殻のほかに骨や土器が出るので、文字のない時代を知る手がかりになる。大森貝塚は1877(明治10)年にモースが列車の窓から見つけた、日本の考古学の始まりの場所。碑が品川区と大田区に1つずつある。王子の滝野川八幡神社の裏手からも縄文の貝塚が出ている。

建物で見るもの
重要文化財・登録有形文化財・天然記念物
国の文化財には段階がある。国宝、重要文化財(国が指定)、登録有形文化財(所有者が届け出て国が登録する制度で1996年から。基準がゆるい代わりに、外観を保ちながら使い続けることが前提)。ほかに都・区の指定文化財。木は天然記念物で、雑司ヶ谷鬼子母神堂の子育てイチョウと柴又帝釈天の瑞龍のマツはどちらも都指定。史跡は土地(大森貝塚)。看板を見つけたら、どこが付けたものかまで読むと差が分かる。


登録有形文化財(建造物)とは何か説明しよう。聞きたまえ。

長くなるので、荻窪の記事で。
看板建築
関東大震災のあと、鉄筋コンクリートで建て直す資力のない商店が、木造の家の正面だけを銅板やモルタルの平らな壁で覆って洋風に見せた店舗兼住宅。正面から見ると洋館、横に回ると木造二階屋で、この落差が分かると急に街が面白くなる。名前は後の研究者が付けたもの。人形町、神保町の矢口書店、鳥越の高岡酒店さん、旧東海道の星野金物店さん。

銅板葺き
銅の板で屋根や外壁を覆うこと。新しいうちは赤茶色、雨に打たれて緑青(ろくしょう)が出ると緑色になる。神社の屋根の緑はだいたいこれで、瓦ではない。看板建築の正面に銅板を貼った「銅板葺き看板建築」は、人形町に集中して残る。

洋館
明治から昭和初期に建てられた西洋風の住宅。旧古河庭園の洋館はジョサイア・コンドルの設計でバラ園と一緒に撮る人が多く、飛鳥山の旧渋沢家の晩香廬・青淵文庫は渋沢栄一が残したもの。和室と洋風の応接間を一つの家に同居させた「和洋折衷」も多い(千駄木の旧安田楠雄邸)。

宮造り銭湯
唐破風の屋根に格天井、まるでお寺のような外観の銭湯。関東大震災のあと東京で流行った様式で、中には富士山のペンキ絵。佃の日の出湯さんは現役、上野桜木の柏湯は現代アートのギャラリー(SCAI THE BATHHOUSE)になって下駄箱だけが銭湯の名残。

道と水
暗渠
川に蓋をして道にしたもの。「あんきょ」。見分け方は3つあって、車止めがある(車の重さに耐えられない)、道がくねくね曲がる、橋の欄干や親柱だけがぽつんと残る。この3つが揃った道を歩いていると、ああ暗渠だな、とワクワクする。渋谷川は明治神宮の清正井から、玉川上水は浅間橋から辿れる。


車止めを見ると「暗渠だ」と言いたくなる病にかかりました。
緑道
暗渠や埋め立てた堀の上を遊歩道にしたもの。桜並木がそのまま残っていることが多い。向島の山谷堀は昭和51年まで隅田川に注いでいた堀で、今は両岸の桜が紅葉する緑道。世田谷の北沢川・烏山川の緑道は6km続く。

湧水
地面から自然に湧く水で、東京では台地の縁(崖線)から湧く。明治神宮の清正井は水源調査で自然の湧水と分かっていて、渋谷川の源流のひとつ。触るとひんやり冷たくて、これがあの渋谷川になるのかと思うと不思議。

崖線
台地の縁が崖になって続いている地形。「がいせん」。国分寺崖線は多摩川が10万年かけて削った段丘の崖で、成城から二子玉川、等々力へと続く。崖の上に邸宅、崖の下に湧水、崖の途中に古墳。代官山の旧朝倉家住宅の庭は、崖線の勾配をそのまま使っている。

水門と閘門
水門は水を止める門。閘門(こうもん)は水位の違う二つの川の間で船を上げ下げして通す門で、船のエレベーター。荒川と旧中川を結ぶ荒川ロックゲートは現役で、水位の差が目で見える。旧小松川閘門は1930(昭和5)年建造、東京都歴史的建造物。佃の住吉水門は1965年完成。

橋の形 アーチ・吊り橋・跳開橋
隅田川の橋は関東大震災の復興で架け替えられ、形が一本ずつ違う。永代橋はアーチ(現存最古のタイドアーチ橋)、清洲橋は吊り橋、勝鬨橋は真ん中が開く跳開橋で国内唯一のシカゴ型二葉式、言問橋は平らな桁橋。厩橋のアーチにはガラスの馬。

名所江戸百景
歌川広重が晩年に描いた浮世絵の連作。百景と言いながら百枚以上ある。「佃しま住吉乃祭」「永代橋佃しま」など、描かれた場所に今も立てるのが東京の散歩の楽しみ。三囲神社の浮世絵には「牛御前社」の名。

商店街と街で見るもの
◯◯銀座
銀座を名乗る商店街は都内にいくつもある。元祖と言われるのが戸越銀座(全長1.3km、都内最長)。砂町銀座は昭和7年、当時日本一の商店街だった銀座通りに負けないようにと名付けられ、今は670mに180店。銀座と付けば繁華な商店街、という願いの名前。

アーケード
商店街の通り全体に掛けた屋根。雨でも傘なしで端から端まで歩ける。中延商店街は330m、ジョイフル三ノ輪は400mに80店、大山ハッピーロードは560mに220店。ただし再開発で途切れるアーケードもある。


商店街の街灯
商店街ごとに柱の色と灯具の形が違う。歩いていて街灯の形が変わったら、商店街が変わった合図。旗の台四丁目商店街と荏原町商店街は、街灯以外に境目がない。大山ハッピーロードの街灯にはウサギのラッピー、祖師谷はバルタン星人、本郷の菊坂は街灯一本ごとに文豪の紹介文。


街灯の柱の色が変わったら、商店街の名前も変わっています。
横丁・路地
路地は車の入らない細い道。横丁は表通りから折れて入る小路の名前で、甘酒横丁のように通り名として残る。鳥越一丁目は空襲を免れたので昭和初期の路地がそのまま。立石の呑んべ横丁は2023年に消えた。

都電と踏切
都電荒川線は、東京に残った唯一の都電。三ノ輪橋から早稲田まで。世田谷線は東急の路面電車で、都電ではない。どちらも踏切のすぐ横から商店街が始まる景色が残っていて、飛鳥山入口の歩道橋は都電の撮影スポット。

角打ち・立ち飲み・せんべろ
角打ちは酒屋の店先で、買った酒をその場で飲むこと。立ち飲みは椅子のない酒場。せんべろは1,000円でべろべろになれる店。赤羽の「立ち飲みいこい」は創業約50年、北区神谷の練り物店が開いた立ち飲みは「1000円で満足できる店」を掲げる。砂町銀座では店の脇で缶ビール350円。


用語集のはずが、最後は酒。

散歩用語です。
書き出してみたら神社とお寺で半分でした。全部を覚える必要はなくて、次に散歩をしたとき、ひとつでも「あ、あれだ」と指させれば充分だと思います。個人的には、やっぱり千本鳥居が好きです。みんな大好きですし、もちろん私も。

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