コース概要
徳川幕府の3代将軍家光の乳母として有名な春日局。その拝領地(現在の文京区後楽・春日)付近を中心に、池袋から東へ向かって春日通りが通じています。今回は池袋駅から御徒町駅へ、春日通り沿いにある、春日局・3代将軍家光と徳川家ゆかりの名所を辿ります。是非歩いてみてください。
【所要時間:約3.5時間】
【お勧めの曜日:いつでも!】
【お勧めの時期:いつでも!※傳明寺は、藤が見ごろの季節(4月中旬以降)がおススメ】
今回のコースは全長10kmと長いです。歩き易い靴をお忘れなく。頑張って歩きましょう!
- 10:00A:池袋駅から出発
(移動:徒歩8分)
- 10:08
(移動:徒歩45分)
- 10:53
(移動:徒歩30分)
- 11:35
(移動:徒歩15分)
- 12:00
(移動:徒歩18分)
- 12:33
(移動:徒歩16分)
- 12:55
(移動:徒歩15分)
- 13:25H:御徒町駅へ到着
今日も一日お疲れ様でした。
「春日局」とはどんな人物?
本名は斎藤福。明智光秀の重臣だった斎藤利三の娘として生まれる。関ヶ原の戦いの功労者である稲葉正成と結婚するも、将軍家の乳母になるために離縁。息子・稲葉正勝と共に将軍家に取り立てられ、竹千代(後の3代将軍家光)の乳母となる。
家光の将軍就任により「将軍様御局」として大奥の公務を取り仕切るように。家光の為の側室を多く集め、大奥の役職・ルールなどを整備。江戸時代の間長く続く大奥の礎を築いた。
のちに従三位の位階と「春日局」の名号を天皇より賜り、後日従二位にも昇格。その高さは鎌倉幕府の「尼将軍」源頼朝の妻である北条政子にも匹敵。老中をも上回る絶大なる権力を持った。
将軍や大奥にまつわる逸話が多く残っており、大河ドラマなどでも取り上げられることも多い人物。大原麗子・樹木希林・松下由樹・寺島しのぶ・斉藤由貴など、演じた俳優も錚々たる顔ぶれ。
コース詳細
10:08 | B:春日通りの起点 池袋六ツ又陸橋からスタート
明治通りの上を越える池袋六ツ又陸橋。ここが春日通りの起点となる。ここから本郷三丁目付近までは国道254線と重なり、4車線の広い道路。東へ向かいずんずん歩こう。
基本的には春日通り沿いに歩いていきます。日頃の運動不足解消のためにも、頑張って歩くぞ~!
住所 | 東京都豊島区東池袋1丁目 Googleマップ |
10:53 | C:家光が腰を掛けた腰掛稲荷神社
詳しい創建年代は不明。江戸時代初期、この場所は辺りを見渡せる見晴らしの良い場所で、座るのに丁度良い大木の切株もあったそう。ある日、3代将軍家光が鷹狩にここを訪れ、切株に腰掛けて辺りの景色を絶賛。そして稲荷の小祠を拝んで立ち去った。以来、江戸幕府は、「将軍の縁の地」としてこの切株を竹矢来で囲み守った。その切株は完全に朽ち果ててしまったが、稲荷の小祠を「腰掛稲荷神社」として整備。
大物になる前、一旦の「腰掛」という意味合いから「これから一歩を踏み出して大きくステップアップできる」ご利益があるとして今でも多くの信仰を集めている。
小さめな稲荷神社にもかかわらず、そのご利益を聞きつけた参拝客が絶えなくて驚きました。
住所 | 東京都文京区目白台3丁目26−1 Googleマップ |
TEL | 03-3945-4808 |
営業時間 | 9時~16時 |
11:35 | D:「これこそ藤寺」傳明寺
「でんみょうじ」。江戸時代、1624(寛永元)年に創建。通称「藤寺」。3代将軍家光が鷹狩りの際にこの寺の藤を見て、「これこそ藤寺なり」と呼び、以降「藤寺」と呼ぶよう命じたことに由来している。訪問時(2024年1月)はもちろん季節ではなかったが、藤の見頃を寺で伺うと、毎年桜が終わった、4月中頃と教えて頂いた。寺にはかつては「観音水」とよばれる湧水があった。現在は枯渇しているが、その跡と思われる祠も寺の外に残っている。是非見つけてみて欲しい。
近年の温暖化で、徐々に藤の見ごろが早くなっているのだそう。次は満開の時期に訪問してみたいです。
住所 | 東京都文京区小日向4丁目3−11 Googleマップ |
TEL | 03-3941-3259 |
営業時間 | 9時~16時 |
12:00 | E:将軍家の菩提寺の威厳たっぷり 傳通院
「でんづういん」。室町時代の1415年、江戸の小石川極楽水(現在の小石川4丁目)で開創。寺号を「寿経寺」とした。1602年、徳川家康の生母である於大の方が京都伏見城で死去。1603年、家康は於大の方の遺骨をこの地に埋葬し、現在まで残る墓を建立。寿経寺をこの場所に移転させてお堂を建て、於大の方の法名「伝通院殿」にちなんで院号を「傳通院」とした。
以来、江戸幕府将軍家の菩提寺として、於大の方以外にも、2代将軍秀忠の娘・千姫、3代将軍家光の正室・孝子の方などが多く眠る。港区増上寺・上野の寛永寺と並ぶ、江戸の三霊山と呼ばれている。
住宅地のど真ん中に、あまりにも広大な敷地が広がっており驚かされる。境内の建造物は、第二次世界大戦の空襲で墓を除き全て焼けてしまい、戦後に再建されたもの。
豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼に嫁いで以来、豊臣・徳川両家の関係を取り持つべく、尽力していた千姫。ようやくこの寺に落ち着けて、ほっとされているのでしょうね。
住所 | 東京都文京区小石川3丁目14−6 Googleマップ |
TEL | 03-3814-3701 |
営業時間 | 御朱印受付時間 9:00〜17:00 |
12:33 | F:春日局の出世を見届けた出世稲荷神社
1630(寛永7)年に創建。春日局の家来が春日局の拝領地に立ち会った際、どこからともなく白髪の老人が現れ「この地は繁栄する」と告げて立ち去った。そのことを春日局に伝えたところ「この老人は稲荷神の化身に違いない!」と驚き、この場所に稲荷神を勧請、。春日局が、敗戦の武将の娘から大奥の権力者・従二位にまで大出世を果たしたことから「出世稲荷」と呼ばれるように。
現在は、ビルに囲まれてこじんまりとした神社になっていますが、とてつもないパワーを感じますね!
住所 | 東京都文京区本郷1丁目33−17 Googleマップ |
TEL | 03-3812-1862 |
12:55 | G:春日局の菩提寺 麟祥院
1624年、春日局の願により家光の命で殿堂を造立。1630年に開山し「報恩山天澤寺」と称したが、春日局の法名(麟祥院殿仁淵了義尼大姉)にちなみ「天澤山麟祥院」と改号。以来、春日局の菩提寺として、現代においても、毎年10月14日に「春日忌」として春日局の法要を行っている。
境内の「春日局のお墓はこちら」の立て看板に沿い、お墓参り。独特なのは春日局の墓石。墓石の四方と台石には穴が開いており、これは「死して後も天下の政道を見守り之を直していかれるよう 黄泉から見通せる墓を作って欲しい」と言う春日局の遺言によるもの。以来、江戸時代から「願いが通る!」と多くの人々から信仰を集めている。
寺の建物の丸瓦に「◇」に「三」のマークがあります。寺務所でお伺いすると、稲葉家の家紋なのだそう。将軍家に仕えるために稲葉家から離縁までしてもらった春日局ですが、稲葉家も大事にしているのですね。
住所 | 東京都文京区湯島4丁目1−8 Googleマップ |
TEL | 03-3811-7648 |
営業時間 | 山門開閉時間:6時~17時 (12月~2月末は、閉門時間16時半) |
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