コース概要
文京区本郷は、明治期の文豪・文人が多く集まったエリアとして知られています。今回は、樋口一葉・坪内逍遥などの文豪・文人たちの足跡を追いながら、本郷の街を散策するコースを作成しました。是非歩いてみてください。
【所要時間:約1.5時間】
【お勧めの曜日:月曜日以外はいつでも】
- 10:00A:本郷三丁目駅から出発
(移動:徒歩10分)
- 10:10
(移動:徒歩10分)
- 10:20
(移動:徒歩3分)
- 10:25
(移動:徒歩2分)
- 10:30
(移動:徒歩10分)
- 10:42
(移動:徒歩10分)
- 10:55
(移動:徒歩8分)
- 11:05
(移動:徒歩12分)
- 11:25I:本郷三丁目駅へ戻る
今日も一日お疲れ様でした。
文豪・文人たちと本郷の街のかかわり
安政6年生まれの小説家・翻訳家。「小説はまず人情を書くべし」とした心理的写実主義を表し、近代文学の礎を築いたとされる。本郷には明治17年から3年間住み、明治18年『小説神髄』を発表。代表作:『小説神髄』『当世書生気質』及びシェイクスピア全集の翻訳 等
文久2年生まれの小説家。陸軍軍医でもあった。明治6年、東京医学校予科(現在の東大医学部)時代に本郷の加賀屋敷跡の寄宿舎へ入る。東大卒業後、ドイツ留学。帰国後は軍医の傍ら文人として活躍。代表作:『舞姫』『阿部一族』『青年』『山椒大夫』『雁』『高瀬舟』等
明治5年生まれの小説家。明治9年、法真寺の東隣で5年間を過ごす。その後、台東区に移住するが明治23年に本郷菊坂に戻る。亡くなるまでの2年6か月間に名作を書く。代表作:『大つごもり』 『たけくらべ』 『にごりえ』『十三夜』等
明治15年生まれの言語学者。東大に入学した明治37年から約20年、本郷の鐙坂に住む。同郷の後輩であった石川啄木から頼られ、本郷の下宿に同居したことも。
明治19年生まれの歌人・詩人。明治41年、3度目の上京で同郷(岩手)の先輩である金田一京助をたよって、菊坂近くにあった赤心館に下宿。その後、家賃を滞納する度に本郷の街の中を転々とする。代表作:『一握の砂』『悲しき玩具』『呼子と口笛』『時代閉塞の現状』等
明治19年生まれの小説家。大正8年頃から本郷菊富士ホテルを仕事場とする。
代表作:『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』等
コース詳細
10:10 | B:樋口一葉の住んだ家があった法眞寺に参拝
1627年に創建したと伝わる歴史ある寺院。明治9年、樋口一葉は一家で法眞寺の東隣に住んでいた。一葉は、「桜木の宿」と呼ばれた住居の2階の窓から、よく境内の桜を眺めたりしていたそう。境内の腰衣観音は、「腰衣の観音さま、濡れ仏にておはします御肩のあたり、膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて、前に供へし樒の枝につもれるもをかしく」と小説『ゆく雲』の中で記している。
住所 | 東京都文京区本郷5-27-11 Googleマップ |
TEL | 03-3813-8241 |
営業時間 | 御朱印:9~17時 |
定休日 | 月曜 |
10:20 | C:炭団坂を登り坪内逍遥と同じ景色を眺める
「たどんざか」と読む。菊坂に垂直の伸びる急な坂。名前の由来は「炭団(炭の粉末に粘結剤を加え団子状にして乾燥させた燃料)などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたそう。現在のように階段状になっていなければ、菊坂の方面に向かってゴロゴロと転がってしまいそうなほどの急坂。坪内逍遥は、明治17年から3年、この坂を上った右側に住んでおり、その間に『小説神髄』を発表している。
住所 | 東京都文京区本郷4丁目 炭団坂 Googleマップ |
10:25 | D:明治期のままの景色 樋口一葉菊坂旧居跡を見学
樋口一葉が明治23年から4年ほど住んだ一帯が、明治時代の当時の面影を残したまま保存されている。一葉も使ったとされる井戸が通称「一葉の井戸」として現存している。実際に住んだ建物は現存していないが、大正・昭和レトロをビシビシ感じさせる建物があり、映える写真を撮れること請け合い。周辺の住民の方に迷惑をかけないよう、くれぐれも注意しよう。
住所 | 東京都文京区本郷4-32-1 Googleマップ |
10:30 | E:金田一京助の家もあった鐙坂を下る
「あぶみざか」と読む。樋口一葉菊坂旧居跡を抜けた先にある坂。右側には、石垣がそびえたち、急であるが味のある坂。左側には、日本のアイヌ語研究の本格的創始者である金田一京助の家があった場所。同郷の石川啄木と共に、本郷の下宿を転々とした金田一京助は、大正11年から4年ほどこの坂の途中に居を構え、アイヌ語の研究を進めていた。
住所 | 東京都文京区本郷4丁目11−6 Googleマップ |
10:42 | F:樋口一葉終焉の地を見学
樋口一葉の最後の居住地跡。樋口一葉は、明治27年菊坂近くの居住地からこの地に転居。その後亡くなるまでの2年ほどの間に『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』『にごりえ』などを立て続けに発表。特に『たけくらべ』は森鴎外や幸田露伴からも高く評価されたが、肺結核で24歳の若さでこの地で死去している。
住所 | 東京都文京区西片1丁目17 Googleマップ |
10:55 | G:菊坂を散策 樋口一葉や多くの文豪たちの足跡を辿る
菊坂は、樋口一葉はもちろん、東大にゆかりのある文豪や、坂近くにある本郷菊富士ホテルに集った多くの文豪たちが行き交った場所とされている。父の死後、樋口家の大黒柱となってしまった樋口一葉が、生活苦をしのぐため通ったとされる旧伊勢屋質店はじめ、古くから残る建物も見られる味のある通り。
住所 | <旧伊勢屋質店>東京都文京区本郷5丁目9−4 Googleマップ |
11:05 | H:錚々たる文人たちの「栖」 本郷菊富士ホテル跡を見学
菊坂に垂直に交わる坂を上った先にある、明治29年~昭和19年にあったホテルの跡地。ホテルといっても普通のホテルではなく、文豪・芸術家・学者・思想家たちが定宿とした場所。その顔触れは、宇野浩二・宇野千代・尾崎士郎・直木三十五・竹久夢二・谷崎潤一郎・坂口安吾など、錚々たるメンツ。瀬戸内晴美は、小説「鬼の栖」で、このホテルを舞台にした男女のドロドロ愛憎劇を描いた。
住所 | 東京都文京区本郷5丁目5−17 Googleマップ |
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