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日本の「原点」を見て回ろう 麻布十番~日本橋 昼さんぽコース

#港区#レトロ建物探訪#中央区#千代田区
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コース概要

麻布十番駅から出発し、①日本経緯度原点、②日本水準原点標庫、③日本国道路元標・道路元標地点碑の3つの「原点」を周り日本橋駅へ向かうコース。小さくても重要度はMAX。日本の地理の重要ポイントを是非歩いてみてください。

【所要時間:約3.5時間】
【お勧めの曜日:月・火・水・木・金・土】
【総歩行距離】8km(各スポット内での移動を除く)

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SCHEDULE

コース詳細

11:15 | B:基準点①日本経緯度原点

測量法11条によって定められた測量の原点。日本経緯度原点は、1892(明治25)年に定められた。当時この場所には帝国大学付属東京天文台があり、その子午環の中心が原点とされた。しかしの関東大震災により、子午環は崩壊してしまったため、その跡地に日本経緯度原点を示す金属標が設置された。とのことらしい。(wikipediaより)

2001年には測量法の改正により世界測地系を採用したため、原点数値を変更。さらに2011年の東北地方太平洋沖地震に伴う地殻変動により、原点が東へ27センチメートル移動したため、原点数値をさらに変更した歴史がある。

たった数センチの金属だが、日本の全ての位置を計測する際の基準となる超重要な点。是非見て欲しい。

1日3ミリ原点ずらす。2年を費やし自宅の前へ。武勇伝武勇伝。

原点を動かしても、我が家の場所が銀座や六本木にはならないので諦めなさい。

黒い石の部分が元々あった子午環の脚の場所
この小さな点が全ての原点
住所港区麻布台2丁目18−1 Googleマップ

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11:45 | C:大正12年建築 虎ノ門 大坂屋 砂場で蕎麦を頂く

1923(大正12)年建築。現在、登録有形文化財にも登録。そもそも「砂場(すなば)」とは、大阪を起源とする蕎麦屋の老舗。豊臣秀吉の時代、大坂城建設時に、菓子屋が資材の「砂置き場」に蕎麦屋を開店したことに由来。江戸時代、江戸に下り「大坂屋砂場」の営業がはじまり、現在に至る。

建設以来、大戦の空襲被害・関東大震災や東日本大震災にも耐えた、その建物のレトロな雰囲気が親しまれている。すぐ隣に虎ノ門ヒルズなど超高層ビルがそびえたっていることも相まって、そのギャップにグッとくる。蕎麦自体ももちろん美味だが、外観から内観までこの建物で蕎麦を食べる、ということがプレミアムな体験。

今回の訪問では、かき玉そば(940円)を頂いた。とろりとした汁にたっぷりの卵、熱くて食べるのに苦戦しても伸びない美味しいお蕎麦、大変美味しゅうございました。

高層ビルの中にある大正レトロな建物
店内も雰囲気たっぷり
かき卵蕎麦(980円)、砂場を冠するお店としてはリーズナブル
住所港区虎ノ門1丁目10−6 Googleマップ
TEL03-3501-9661
営業時間月、火 11:00~20:00
水、木、金 11:00~21:30
土 11:00~14:00頃 ※土曜日はお蕎麦がなくなり次第閉店
定休日日曜日、第3土曜日、祝日

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13:00 | D:基準点②重要文化財 日本水準原点標庫

測量法11条によって定められた、日本の水準測量の基準点。水準測量とは高さを求める測量のこと。つまりは標高の原点。下の写真に写っている建物は日本水準原点標庫といい、正面の金属プレートの中に日本水準原点がある。標庫と基準点が共に国の重要文化財に指定されている。

設計はジョサイア・コンドルの一番弟子と言われる佐立七次郎。建物としての見どころは、正面上部に「大日本帝国」の文字がある点。意匠に優れていたからか、戦後も公共の建物としては珍しく大日本帝国の表記が残されている。

日本水準原点標庫(建物)の見学はいつでも可能。原点自体を見られるのは、年1回、6月上旬の「測量の日」の付近のイベントだけなので、興味のある人は国土地理院のHPをチェックしましょう。

こちらも東北地方太平洋沖地震で24mm沈下したため、その後、原点標高が改正されています。

上部に大日本帝国の文字が見える
下部、金属板の中に原点がある
国土地理院HPより 金属板の中には水晶板があるとのこと
住所千代田区永田町1丁目1−2 Googleマップ
TEL02-9864-1111
営業時間9時~17時半
定休日なし

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14:15 | E:日本国道路元標・道路元標地点碑

「日本橋」の中央にある、道路の起終点を示す標識。大正時代には各市町村に1つずつ道路元標を設置するとが命じられ、東京市(当時)には日本橋の中央に設置することと、定められていた。現在でもよく見る、「〇〇市まであと32km」のような看板の距離測定の基準となる点。

なぜ日本橋が日本の道路の基点とされたのか、という疑問が沸くが、どうやらこれはモニュメント的なもの。現在の日本国道路元標の位置は、元々は東京市の道路元標が置かれていた場所。東京市の元標を道路改修に伴い移設する際に、代わりに日本国の元標が埋め込まれた。江戸時代より江戸日本橋を中心に東海道や中山道が整備されたため、日本橋に置いた、ということらしい。

日本国の道路元標を置くとしたら、歴史を考えると日本橋しかないですね。

中央の金属板が本物
日本橋の横にあるレプリカ
もともと橋の中央にあった東京市の元標。現在は移動して橋の横にある。
住所中央区日本橋室町1丁目1 Googleマップ

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お散歩案内人プロフィール
街歩きを愛する夫婦

東京下町生まれの夫と、東京在住20年を超える妻。デート代節約のため散歩デートを繰り返すうちに、いつの間に街歩きマニアに。東京23区の散歩コース紹介サイト「明日どこいく?」運営。実際に歩いて作成した散歩コースは100以上。特に好きなジャンルは、御朱印・商店街・建築・庭園・食べ歩き。東京シティガイド検定ゴールドバッジ保有。

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