コース概要
平将門公にまつわるスポットを周るコース。日本橋駅からスタートし兜神社へ。その後、将門塚と神田明神を参拝。最後に、将門公のご祭神復帰へ尽力した遠藤家が運営する古民家カフェにも立ち寄ります。是非歴史を勉強しつつ歩いてみてください。
【所要時間:約3時間】
【お勧めの曜日:火・水・木・金・土・日】
【歩行距離:5km】
- 13:00A:日本橋駅から出発
(移動:徒歩5分)
- 13:05
(移動:徒歩30分)
- 13:40
(移動:徒歩30分)
- 14:20
(移動:徒歩5分)
- 14:45
(移動:徒歩10分)
- 15:40F:新御茶ノ水駅へ到着
今日も一日お疲れさまでした!
余裕がある方は築土神社へ。
平将門とは?
平将門どはどのような人物なのだろうか?皇居脇にある「将門塚」の説明が名文であったため引用させていただく。
平将門公は、承平天慶年 間(九三一~九四六)に活躍され、武士の先駆けとして関東地方の政治改革に尽力され、弱きを助け強 きを挫くその性格から民衆より篤い信望を受けていました。
今を去ること一〇七五年ほどの昔、桓武天皇五代の皇胤鎮守府将軍・平良将の子将門公は、下総国に兵を起こし、たちまちにして坂東八ヶ国を平定、自ら平新皇と称して政治の革新を図りましたが、平貞盛と藤原秀郷の奇襲をうけ、馬上陣頭に戦って憤死しました。享年三十八歳、世にこれを天慶の乱といいます。
(中略)
天慶の乱は平安朝の中期に当たり、京都では藤原氏が政権をほしいままにし、我が世の春を謳歌していました。遠い坂東では国々の司が私欲に走り善政を忘れ、下僚は収奪に民の膏血をしぼり、加えて洪水や早魃が相続き、人民は食なく衣なく、その窮状は言語に絶するものでした。その為、これらの力弱い多くの人々が、将門公によせた期待と同情とは極めて大きなものがあり、今もって関東地方には数多 くの伝説と将門公を祀る神社があります。このことは将門公が歴史上朝敵と呼ばれながらも、実は郷土の勇士であったことの証です。また天慶の乱は、武士が台頭する烽火であったと共に、弱きを助け強きを挫く江戸っ子の気風へと繋がり、今日の社会にも大きな影響を与えています。
将門塚案内板 史跡 将門塚保存会 江戸総鎮守 神田明神 より引用
アンダーラインは筆者が追加
どうしても首級が京都から東京に飛んだとか、祟りがあった、という話のインパクトが強いですが、郷土の勇士として人々に愛された坂東武者だったのですね。省略した部分も名文なので、将門塚を訪れた際には是非ご一読ください。
コース詳細
13:05 | B:将門の兜を供養 兜神社
境内には「兜石」があり、天慶の乱で平将門を討ち取った藤原秀郷が、岩がある当地で将門の兜を地中に埋めて供養した、と伝わる。一時代を築いた大金融タウン、日本橋兜町の名前の由来になった神社。
神社の規模としては小さく社務所も無い。一方で神社を紹介したパンフレットは綺麗なものが用意されており、流石は日本証券界の鎮守、と言われるだけのことはある。
大勢の人が集まり、例大祭も行われる、現役バリバリの神社です。
住所 | 中央区日本橋兜町1−12 Googleマップ |
13:40 | C:将門の首を祀る塚 将門塚
大手町にある平将門の首を祀る塚。こちらも塚の案内板より引用させていただく。
(天慶の乱の)その後、将門公の首級は京都に送られ獄門に架けられましたが、三日後白い光を放ち、東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちました。大地は鳴動し太陽も光を失って暗夜のようになったとされ、村人は恐怖し、塚を築いて埋葬しました。これが、この将門塚と語り伝えられています。その後も度々、将門公の怨霊が祟をなすため徳治二年、時宗二祖真教上人は、将門公に蓮阿弥陀佛という法号を追贈し、 塚前に板石塔婆を建て、日輪寺にて供養し、さらに傍の神田明神にその霊を合わせ祀ったところ、ようやく将門公の霊魂も鎮まり、この地の守護神になったといわれています。
将門塚案内板 史跡 将門塚保存会 江戸総鎮守 神田明神 より引用
括弧内は筆者が追加
近代においても、この塚において、不敬な行為に及べば祟りがある、という伝承がある。
- 大正~昭和にかけて付近に大蔵省の庁舎を建てようとした際に不審死が多数
- 大蔵省の庁舎が落雷による火災で焼失
- GHQが塚を撤去しようとした所ブルドーザーが転覆
このような事象が起きたため、大手町が巨大ビル群に発展する過程においても塚は保存され、「史跡 将門塚保存会」を中心に運営されている。またこの地は神田明神の創建の地でもある。そのため、紆余曲折はあったものの、現在でも神田明神の祭神を将門公が勤めている。
冒頭で紹介した将門を紹介した名文があるのがここ。歴史を知ったうえでお参りすると、感無量。将門様に「俺も頑張るよ」と誓ったのでありました。
住所 | 千代田区大手町1丁目2−1 Googleマップ |
14:20 | D:将門が祭神を務める 神田明神
正しくは「神田神社」。歴史は730年から始まり、1616(元和2)年に現在の地に移転。江戸総鎮守として信仰されている。祭神は以下の3柱。
- 大己貴命(大黒様)=縁結び
- 少彦名命(えびす様)=商売繁盛
- 平将門命(平将門)=除災厄除
平将門に関しては、紆余曲折がある。935年、平将門の首が神田神社の近くに葬られ、将門の首塚は関東地方の平氏武将の崇敬を受けた。14世紀に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、神田神社の祭神に加わった。
時は離れて1874年。明治天皇が参拝するにあたり、朝敵である平将門が祀られていることが問題となり、祭神から外される。その後1984年、神田明神の氏子会、将門塚保存会の長年の働きかけによって、将門が祭神に復帰、現代に至る。
平将門と神田明神は切っても切れない縁。祭神に戻るまでには相当な苦労があったようです。
これでしばらくは、成田山の話題がしずらくなりました。
住所 | 千代田区外神田2丁目16−2 Googleマップ |
TEL | 03-3254-0753 |
営業時間 | 境内24時間OK 社務所 9時~17時(土日祝は18時まで) |
定休日 | なし |
14:45 | E:現代の将門信仰のキースポット カフェ井政 IMASA
江戸時代より神田で材木屋「井政」を営む遠藤家。将門塚に近かったこともあり、代々、将門塚保存会の中核を担ってきた。先代にあたる遠藤達藏氏は、神田明神氏子総代、将門塚保存会会長として将門公の復権に力を注ぎ、1984年、ついに将門公の神田明神への祭神復帰を実現した。
という遠藤家の建物は、古民家として千代田区の有形文化財。現在は神田明神脇に移設されている。一部をカフェとして営業しており、将門公が祀られた神棚の横でお茶を飲める、現代の将門信仰のキースポットとなっている。
将門公好きな人、古民家好きな人、どちらにもお勧めの至極の空間です。
住所 | 千代田区外神田2丁目16 宮本公園内 Googleマップ |
TEL | 03-3255-3565 |
営業時間 | 11時~16時 |
定休日 | 月曜、不定休 |
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