コース概要
築地から佃の一帯は、江戸時代に埋め立てられた土地で、工事の際に波を鎮めるために2つの波除稲荷神社が建てられています。場外市場で海産物に舌鼓を打ちつつ、波除神社を巡るコースです。是非歩いてみてください。
【所要時間:約3時間】
【お勧めの曜日:いつでもOK】
【お勧めの時期:いつでもOK】
- 11:30A:築地駅から出発
(移動:徒歩5分)
- 11:45
(移動:徒歩1分)
- 12:45
(移動:徒歩25分)
- 13:15
(移動:徒歩1分)
- 13:20E:佃波除稲荷神社へ参拝
(移動:徒歩3分)
- 13:30
(移動:徒歩15分)
- 14:00
(移動:徒歩10分)
- 14:15H:八丁堀駅へ到着
今日も一日お疲れさまでした!
コース詳細
11:45 | B:築地場外市場でお昼を頂く
市場と名が付いているが、鮮魚、魚類加工品を中心に、青果や肉類まで取り扱う「商店街」。レストランのようなプロの仕入れから、今晩の食卓の刺身、ランチまで幅広いニーズに対応している。東京の魚市場が豊洲に移転した後も元気一杯で東京が誇る観光地の一つ。2023年2月の平日午前に訪問した際には、半数近くが外国からの観光客と思われる方々で占められていた。表通りだけでなく細い路地の両側にもお店が一杯。さらにその奥の路地までお店が一杯。人、人、人で溢れかえる様子は圧巻。是非訪れて美味しい魚を食してほしい。
海外からの旅行客の方々が相当戻ってきていました。よきかな~。
住所 | 中央区築地4丁目16−2 Googleマップ |
12:45 | C:波除稲荷神社へ参拝(築地)
築地場外市場の横にある神社。通称波除神社。江戸時代の始め、築地一帯はまだ海だった。埋め立て事業を行う際この一帯は波が強く、工事は非常に難航。そんな中、1659年海面より光を纏った稲荷大神の御神体が見つかり、神社を興したところ波が治まり工事は無事に完了したという。現代では厄除け、開運などで信仰を集めている。
境内には面白いものが沢山ある。一例としては、幅3.3メートルの巨大な獅子の頭や、玉子への感謝を込めた「玉子塚」、牛丼の吉野家から奉納された石碑など。参拝した後に見ていって欲しい。
獅子の頭は裏まで周る事が出来ます。滅多にない機会なので是非。
住所 | 中央区築地6丁目20−37 Googleマップ |
TEL | 03-3541-8451 |
営業時間 | 9時~17時 |
定休日 | なし |
13:15 | D:路地裏の名仏 佃天台地蔵尊
佃煮、天安本店のおねーさんに以前紹介して頂いたお勧めスポットがここ。「佃なんて何もないよ~」と言いながら「テレビも良く来てるみたいね~」とのこと。佃一丁目、赤い幟が地蔵様への入口。細い路地を歩くと小さなお堂がある。
お堂の入口には銀杏の巨木があり自然と共生。奥には石板に刻まれたお地蔵様がいる。中央区役所いわく、過去に文化財指定を辞退した、という歴史もあるそう。
結構な人気スポットで参拝の人が絶えません。
住所 | 中央区佃1丁目9−6 Googleマップ |
13:20 | E:佃波除稲荷神社へ参拝
佃の街にある小さな神社、波除稲荷。トレードマークは見事な朱で寄進者の名前が刻まれた玉垣(石柱)。水産関係の会社の名前多く見られる。詳しい歴史は不明だが、佃も築地と同じで埋立地なので工事の安全祈願と、その後の漁の安全祈願を目的に建てられたものと推察。見どころは手水舎で、味のあるのれん状の布がヒラヒラと舞う姿は風情満点。
2つのお社があり、左が波除稲荷、右が於咲(おさき)稲荷です。
住所 | 中央区佃1丁目8−4 Googleマップ |
13:30 | F:佃のシンボル 住吉神社へ参拝
1590(天正18)年、大阪佃村の神主、平岡権大夫好次が佃村の住吉社の分神霊と共に江戸へ移住。その後、神功皇后、徳川家康公が祭神に加わり、住吉神社の歴史は始まった。祭りの様子は江戸後半には人気浮世絵絵師、歌川広重によって名所江戸百景として描かれている。
現代では佃島だけでなく、月島、勝どき、豊海、晴海と東京湾を埋め立てた地域を氏子としており、海に関する守護神として信仰されている。赤い第一の鳥居、石造りの第二の鳥居をくぐると住吉作りの本殿が出迎える。一直線の参道~境内が美しく、心が洗われる神社。
広重の「佃しま住吉乃祭」状態悪くてもいいので欲しい!
住所 | 中央区佃1丁目1−14 Googleマップ |
TEL | 03-3531-3500 |
営業時間 | 社務所 8:00~16:30 |
定休日 | なし |
14:00 | G:明治37年製 現存都内最古の道路用鉄橋 南高橋
読み方は「みなみたかはし」。土木学会選奨土木遺産。現存する都内最古の道路用鉄橋で1904(明治37)年製。ちなみに人が渡る鉄橋としての都内最古は弾正橋で1878年製となる。明治の橋が令和まで残るまでには面白い歴史がある。
- 1904年「両国橋」開通
- 1930年、震災復興もあり「両国橋」を架け替え
- 1931年、架け替え前の両国橋の一部を移設し「南高橋」を開通
- 結果的に1904年の橋が「南高橋」として令和に生き残る
鉄橋LOVE。
住所 | 東京都中央区湊1丁目 ~新川2丁目 Googleマップ |
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